学びの箱庭~塾講師の取組み~

学習塾のオーナー塾長が様々な学びについて綴っていきます

学校の授業で『読解力』が伸びない理由

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『学校で行われている国語の授業は”鑑賞”であるから読解力は伸びない』という意見をよく耳にしますよね。

 

私個人もこれが真実なのであろうと感じています。少なくとも、小1からあれだけ国語の授業を受けていながら、個々の読解力には恐ろしいほどの差がある理由を、”センス”という言葉だけに落とし込むのは無理があります。

 

それではまず、学校で行われている一般的な国語の授業を考えてみましょう。

 

例えば、説明文の授業で主題である『AはBである』を読み解くとします。その場合、まず学校では個人やグループの話し合いなど、自由に意見を出させるでしょう。当然、そこには正答の他、『AはCである』、『DはAである』など様々な声が上がります。

 

次にクラスで意見交換をさせ、最終的には教員が『AはBである』に寄せていきます。しかし、その後はその主題について、例えば、”未来のAはBであるを考えよう!”のように、味わいにいく授業進行が少なくないのです。

 

もちろん、これ自体が悪いとは思っていません。このように読み取った情報に踏み込み、展開していく力も必要です。

 

ただ、このような進行では、そもそも一歩目で『AはCである』、『DはAである』などと読み誤った子達へのフィードバックがほとんど行われていないことになります。

 

本気で読解力アップに取組むのなら、読み誤った子に対し、一体どこで読み誤ったのか確認していく必要があります

 

例えば、特定の一文の理解なのか、全体の文脈が把握できなかったのか、正確な読み解きができない理由は個々に異なります。よって、まずそのポイントを明確にする作業が必要です。でなければ、子供たち自身、ミスの振り返りをすることができません。

 

数学や理科の演習では誤答、または分からなかった場合、まず、その原因となるポイントを確認しますよね。そこを認識・復習することによって、次に対応できるようになるわけですから。しかし、読解についてはその意識が恐ろしく欠けている。

 

私は、”読書好きだか読解力が十分でない”というケースも、同じ理由ではないかと思っています。自由な読書では、その読解が正しか否かの答え合わせができません。

 

いや、もちろん、趣味の読書は自由に味わい、自由に思いを馳せて良いのです。しかし、テストで現文を解くとなるとそれでは困ります。テストでは、筆者(及び問題製作者)の意図を酌んだ読解ができなければ点が取れないのですから。

 

何にせよ、読み誤りにおいて個々のフィードバックが少ないという点で、学校の授業は読解力の向上にあまり効果を発揮しないと考えています。