古文独特の世界観を現代人ならではのツッコミを入れながら楽しく学んでいきましょう!
さて、今回の作品は『沙石集(しゃせきしゅう)』から『常州のある山寺に、遁世の上人ありけり』です。現代人の感覚では『そうはならんやろ!!』というツッコミたくなるこのお話。どうぞお楽しみください!
【このお話のツッコミポイント】
激オコじゃん。
『原文』
常州のある山寺に、遁世の上人ありけり。万(よろづ)の修行者の聚(あつま)り、中に、ある僧申しけるは、
「法師は生まれてよりこのかた、すべて腹を立て候はず」
と言ふ。その上人学生なる故に、仏法の道理を以て、これを信ぜず。
「凡夫、『貪瞋痴(とんじんち)※』の三毒あり。聖者(しょうじゃ)にてましまさば申すに及ばず。凡夫として、たとひ薄き濃きこそあり、いかでか三毒なからむ。」
と言へば
「すべていささかも腹立(ふくりく)せず。」
と言ふを、なほ信ぜずして、
「実(まこと)ともおぼえず。御房の嘘言(そらごと)とおぼゆる」
と言はれて、
「立たぬと言はば立たぬにてこそあらめ。かく宣ふべきか。」
とて顔を赤めて首をねぢて叱りければ
「さてはさてこそ」
とてやみけり。
※ 貪瞋痴・・・仏教で戒められている「貪ること、怒ること、愚かなこと」の三つの煩悩
『現代語訳』
常州のある山寺に、俗世を離れ仏門に入った上人がいた。あるとき、多数の修行者達の会合があって、その中のある僧侶が、
「私は生まれてからこれまで、腹を立てたことがありません。」
と言った。それを聞いたこの上人は、仏教教理を学んでいたことから、仏法の道理から判断して、この僧侶の話を信じられなかった。そこで上人が
「凡夫には『貪瞋痴』の三つの毒が必ず備わっているものです。もし、悟りを開いた聖者ということであれば、腹を立てないことは言うまでもないでしょう。けれども、凡夫である以上はすべて、腹を立てない人などいないはずです。たとえ程度の差があったとしても、三毒を一切持たない凡夫がどうしてありえましょうか。ありえませんよ。」
と言ったところ、その僧侶は
「私はすべてにおいて、ほんの少しでも腹を立てません。」
と言い張るので、上人はなおも信じなくて
「本当だとは思えませんね。あなた様が空言を言っているように聞こえます。」
と切り返した。すると僧侶は、
「腹を立てないと言ったら立てないということだ!こんなおっしゃりようがあってよいものか!」
と顔を真っ赤にして首をねじるようにして怒鳴りつけたので
「では、まあそういうことで。」
と言って終わった。
『ツッコミ解説』
面白いなあ。ホントに古文嫌いな人は沙石集から入ってほしい。このお話も上人が僧侶を煽りに煽り、ブチ切れたところで
「じゃあwwまあwwそういうことでwwwww」
てな具合にサクっと打ち切るのもツボる。僧侶の怒りを表す”首をねぢて”という表現もジワりますな。
※”首をねぢて”怒る僧侶の図(デジタルアート版)
うん、激怒ですな。