古文独特の世界観を現代人ならではのツッコミを入れながら楽しく学んでいきましょう!
さて、今回の作品は木村卯雲「鹿の子餅」のエピソードである『蜜柑』です。どうぞお楽しみください!
【このお話のツッコミポイント】
てっ、手代さん!?
『原文(入試用問題文)』
分限(ぶげん)な者の息子、照りつづく暑(あつさ)にあたりおほわづらひ、なんでも食事すすまねば、打寄(うちよつ)て、
「なにぞのぞみはないか」
との苦労がり。
「何にも食ひたくない。そのうち、ひいやりと蜜柑(みかん)なら喰ひたい」
との好み。安い事と買(かひ)にやれど、六月の事なれば、いかな事なし。ここに須田町(すだちやう)にたつた一つあり。一つで千両、一文ぶつかいても売らず。もとより大身代(おほしんだい)の事なれば、
「それでもよい」
とて千両に買、
「さあ、あがれ」
と出せば、むす子うれしがり、まくらかろく起上(おきあが)り、皮をむいた所が十袋あり。にこにこと七袋くひ、
「いやもふ美味(うま)ふてどふもいへぬ。これはお袋様へあげたも」
と残る三袋手代(てだい)にわたせば、手代その三袋をうけ取(とつ)て、みちから欠落(かけおち)。
(木村卯雲「鹿の子餅」を元にした高校入試問題文)
『現代語訳』
金持ちの息子が照り続く暑さにあたって大病になった。全く何も食べないので、(親たちが)近寄って
「何か食べたいものはないか」
との心配のしようであった。
(息子は)「何も食べたくない」と言ったが、そのうち「ひんやりとしたミカンなら食べたい」
と食欲を見せた。
「たやすい事だ」
と(人を)買いにやったが、六月の事なので全くどこにもない。(いろいろ探した結果)須田町にたった一つだけあった。
「一つ千両、一文足りなくても売らない」(と店の者は言うが)、当然大金持ちのことだから、
「それでよい」
と千両で買い、
「さあお食べ」
と出せば、息子は嬉しがって、枕から軽々と起上り、皮をむいたところ十房あった。(息子は)にこにこと七房食べて、
「いやもう、美味すぎて何も言えない。これはお母さんにあげておくれ」
と、残った三房を手代に渡すと、その手代はその三房を受け取ってそのまま持ち逃げした。
『ツッコミ解説』
「鹿の子餅」は江戸時代の小咄集。その中でもこの「蜜柑」は「千両みかん」として落語のネタにもなっています。なので、古文独特の世界観というわけではないのですが、オチの「みちから欠落」という締めがなんともシュールなので今回ご紹介しました。
まず触れておかなければいけないのが、ミカン一個千両という壮大な前フリ。江戸中期の1両の価値は米価で換算すると現在の4~6万円と言われていますが、にしても1個千両なんてのはまさに桁違いの値付けであります。
そして、その前フリからたった3房を手代持ち逃げするという衝撃のオチへ・・・なんともテンポの良いお話だと思います。