古文独特の世界観を現代人ならではのツッコミを入れながら楽しく学んでいきましょう!!
さて、今回の作品は「撰集抄」のエピソードである『成通鞠』です。どうぞお楽しみください!
【このお話のツッコミポイント】
小男・・・なの?
『原文(入試用問題文)』
さいつ此、侍従大納言成通と云人おはしけり。壮年より鞠を好みて、或ひはひとりも、或ひは友にまじはりても、これを興じて、日に絶ゆること侍らざりけり。ある時、最勝光院にて、ことに心をとめて蹴給ふに、いづくの物いづかたより来たりたりとも知れぬ小男の見目ことがら貴やかなる、うづくまりして侍り。大納言あやしみをなして、
「たれにか。」
と尋ね給ふに、
「我はこれ鞠の精也。きみのめでたく蹴給ふによりて、鞠のまことのすがたを現すになん。」
とて、かき消ちうせにけり。其後もたびたび以前のごとくなる男いで、目をもたたかず鞠をみて侍りけり。いと不思議にぞ侍る。
『現代語訳』
先ごろ、侍従大納言成通という人がいらっしゃった。壮年のころから蹴鞠を好んであるときは一人で、あるときは友人といっしょに、これを楽しんで、一日たりともしないことがなかった。あるとき、最勝光院で、とりわけ熱心に(鞠を)蹴っていらっしゃると、どこのものかどこから来たともわからない小男で、顔かたちの上品な人が、座り込んでいる。大納言が不思議に思って、
「誰なのか。」
とお尋ねになると、
「私は鞠の精である。あなたが見事に蹴っていらっしゃるので、鞠の本当の姿を現すのである。」
と言って、消え失せてしまった。そのあともたびたび以前のような男が現れて、瞬きもせず鞠を見ていた。何とも不思議なことだ。
『ツッコミ解説』
もちろん、蹴鞠(*1)は当時の貴族たちの芸道であり、ゆえに鞠の精が男の姿であってもなんら不自然なことはありません。ただ、現在の感覚だと鞠は蹴鞠というより手鞠であって、黒髪の童女(*)が手鞠歌なんぞを口ずさみながらついている、そんなイメージの方が強いのではないでしょうか。その点で言うとやはり違和感があるわけですが、サッカーボールの精ぐらいに考えておけば小男であるのも納得もいくのではと思います。
ちなみにこのお話の主人公である藤原成通(ふじわらのなりみち)は蹴鞠の名手であり「蹴聖」とも呼ばれています。ゆえにそのエピソードもハチャメチャで、「成通の蹴る鞠は雲に届いた」とか「清水の舞台の欄干を蹴鞠をしながら一往復した」など、もはや人の域を超えており、こっちにもツッコミを入れたい気分です。
ただ、こんな成通だからこそ蹴鞠の精も姿を現したのかもしれません。成通と蹴鞠の精にまつわるお話は他にもあって、そのうちの1つである「成通卿口伝日記」には「顔は人間、手足体は猿の童子(*3)3人が鞠を抱えて立っていた」とその姿が詳しく記載されています。撰集抄のお話では「上品な人」だったのになぜこちらは80%猿なのかは不明ですが、この成通卿、多才で人柄もよく当時の人々から愛されたキャラクターだったようで、様々な逸話が数多く残っています。
※1蹴鞠(wikiより)
(※2)私のイメージをBing image creatorにて画像化したもの
(※3)イメージをBing image creatorにて画像化したもの。まあ、これならこれでかわいい。
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