古文独特の世界観を現代人ならではのツッコミを入れながら楽しく学んでいきましょう!!
さて、今回の作品は宇治拾遺物語より『八歳の童、孔子に問答の事』です。どうぞお楽しみください!
【このお話のツッコミポイント】
賢いか?
『原文(入試用問題文)』
今は昔、もろこしに、孔子、道を行きたまふに、八つばかりなる童あひぬ。孔子に問ひ申すやう、
「日の入る所と落葉と、いづれか遠き。」と。
孔子いらへたまふやう、日の入る所は遠し。洛陽は近し。童の申すやう、
「日の出で入る所は見ゆ。洛陽はまだ見ず。されば、日の出づる所は近し。洛陽は遠しと思ふ。」
と申しければ、孔子
「かしこき童なり。」
と感じたまひける。孔子には、かく物問ひかくる人もなきに、かく問ひけるは、ただものにはあらぬなりけりとぞ人いひける。
『現代語訳』
今となっては昔のことだが、中国で孔子が道をあるいていらっしゃると、八つぐらいの子供が(孔子)と出会った。孔子に訪ねて申すことに、
「日の入るところと洛陽と、どちらが遠いですか。」と。
孔子がお答えなさることに、
「日の入るところは遠い。洛陽は近い。」
子供の申すことに、
「日が出たり入ったりするところは見えます。洛陽はまだ見たことがありません。だから、日の出るところは近い。洛陽は遠いと思います。」
と申し上げたので、孔子は、
「賢い子である。」
と感動なさったということだ。孔子には、(それまで)このようにものを問いかける人もいなかったのに、このように尋ねたというのは、ただ者ではないことだ、と人々は言ったそうだ。
『ツッコミ解説』
もし、近所の推定8歳児が今回のように「見えているから近い、見たことがないから遠い」的なことを言ったら皆さんはどう思いますか。
私だったら「そだね、そだねぇ~」とか言いながら微笑みを浮かべることはあっても、その子の賢さに感動するなんてことはないと思うのです。
まわりの人々もその子がただ者ではないなんて評価をしているみたいですが、それって結局、孔子の権威に押されちゃってるだけじゃないの、なんて思ったりもします。
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